オカンが言う「要らんことするな」の真意とは
こんにちは。
いやー、雨が続くなぁ😫
3月辺りから続く無気力も未だに継続中なのに、こう雨が続くとますます倦怠感が募る一方。
そんなだからなのかADHDの特性故なのか、お片付けをする気が起こらず、床に物がある率が右肩上がりに上昇している。
そんな中、先日かなりでかいゴキブリが出現して天袋に立て籠り、現在進行系でド修羅場。
よい大人なのにドラッグストアで半べそかきながらゴキブリ撃退アイテムを買い揃えたけど、未だに駆除できておらず、まだくん煙剤も焚いていない。
どうしよう(´;ω;`)
それはさておき。(さておきたくないけど)
今日は友人が夫婦が街中に出掛けた時の話をしたいと思う。
ある日、彼等が街中で歩いていると、その反対側から小学生くらいの男児とその母親と思わしき女性が歩いてきたそうだ。
そしてしばらく歩いていると、突然男児がふざけて手足をジタバタさせて歩きだし、それを見た母親が「もう! 要らんことしないで」と呆れるように言葉を放ったのだとか。
その一部始終を見て、与太話として私に話をしたというわけだ。
友人はそこで、同じ同性の母親ではなく男児側に気持ちが傾いたらしい。
「彼(男児)にとっては必要なんだろうね、って旦那と話してたんだ」と淋しげに呟いた。
しかし、男児で多動の子(検査予定グレーゾーン)を持つ親の私から言わせたら、母親側の気持ちは痛いほど分かるのだ。
いや、友人夫婦が間違ってるとは言わない。
むしろ、正解だと思う。
確かに男児にとってはその楽しいおふざけが必要だからやっているのであって、楽しくなければ不要と判断して無理してまでやろうとは思うまい。
母親側の私の立場から見ても、楽しくて人に迷惑を掛けなければ多少奇行でも好きにせいという気持ちだ。
ただ、この子供のように自分の保護下に置いている生き物に対しての優しく見守る気持ちで接する前提として、自分の気持ちに余裕がなければならない。
そこに至るまでのエピソードが、何のトラブルもない、平和で、微笑ましいものであることが必要なのだ。
例えば、部下が仕事をサボって遅れを出したとしよう。
ただでさえ失敗が多く日頃から手が掛かる部下なので、収集が付かなくてフォローが必要になった。
自分の仕事で手一杯だが、それでもかわいい部下のため、額に汗を滲ませながら、或いはブツクサ文句を言いつつも、あなたはなんだかんだ最後までフォローをするのだ。
そんな修羅場を乗り越え、ようやく落ち着きを取り戻した矢先に、鼻歌交じりにスキップをしている部下を見掛けるとしよう。
あなたは「コイツにはこれが必要なんだな」と微笑ましく見守れるだろうか。
おまけにその部下が隣にやってきて、陽気に小躍りまで始めたらどうだろうか。
あなたはまだお茶を一服することすらできていない。
それでも「コイツにこれが必要なんだな」と思えるだろうか。
部下の評価はあなたの評価にも繋がる。
失敗しないだろうか、サボりはしないだろうか、大丈夫だろうかと部下が退勤するまで見守り、失敗や遅れがあればフォローをし、タイミングを逃さず褒めて伸ばしてやらねばならない。
それが部下を管理下に置くということだ。
一日最低8時間、そうやって見守っていかなければならない。
更に今日は、その部下が失敗してフォローに追われていたわけだ。
そいつが悪びれもせず、あろうことか鼻歌交じりにスキップで横にやってきて陽気に小躍りまでしている。
なんなら仕事はまだある。
ここで「要らんことせんでええから、やるべきことちゃんとやってくれや」と思わない人間がいるだろうか。
逆に言うと、やるべきことをやってさえいれば要らんことをしても良いのだけれど、そのやるべきことができていないから問題なのだ。
話を男児に戻すと、おそらく男児は〈母親がやって欲しいこと、やるべき必要なことをやっていない〉。
ふざけて要らんことをする余裕があるならちゃんとやるべきことをせえよと、そういう話なのだ。
母親が「要らんことするな」発言に至った理由は、友人が見掛けた場面より前の男児の行動に問題があったのではないか————というのが私の考え。
仕事が終われば部下とは離れるが、これが自分の子となると下手すりゃ寝ても一緒にいるわけだ。
例えそれが男児にとって楽しいことであっても、付き合っとれんわという気持ちになって当然なのだ。