息子、もうすぐ7歳
早いもので、子供を産んでから7年が経とうとしている。
息子ももうすぐ7歳だ。
その息子にASDと診断名が出てからはもうすぐ2年が経つが、既に3歳辺りから発達障害児であると確信を持っていたので、家庭療育のようなものを始めてから3〜4年は経つ。
診断名が出るまでは、蕁麻疹や喘息に悩んだり肺炎になったりとストレスからかえらい虚弱で、とんでもなく病院代が嵩んだ。
そもそも、自分の体調管理がきちんとできていたら、頻繁に病院に御厄介になることはないのだけど、私は元々自分がどれくらい疲れているのかが全く分からないので、産後で弱った体を管理しきれずなるべくして病気になってしまった。
更に言うと、自分の顔色の変化もよく分からない。
元々目の下の皮膚が薄いせいで万年クマがあることも理由のひとつだが、産後から鏡を定期的に見る習慣が減ってしまったことも原因だろう。
そのせいで顔色が悪いことにも気づかず、当時はよくお風呂上がりに脱衣所の鏡に映る真っ白な自分の顔見てはびっくりして、またお風呂に戻ってメイクを落とし直したものだ。
今思えば、あれは『顔色が悪い』のであって、メイクの洗い残しではないのだが、私は思い込みが激しいこともあって、酷い時にはもう一度メイクを落とすこともあった。
それでさっぱりして戻ってきては、変わらず真っ白な自分の顔を見て「おかしいな〜」と首を傾げていたのだが、あれで気付かないのだから、当時の私はよっぽど疲れていて頭がどうかしていたのだろう。
そもそも、私のような自分のことに無頓着な人間は、実母や細かいことによく気が付く友人の近所に住んで貰うべきなのだ。
両親も義両親も近くに住んでいなければ、育児に追われて友達付き合いもしていない。
そんな環境で生活しているのに、自分が疲れてることも体調が悪いことも気付けなくて、自分の顔の化粧が落ちてるかどうかも分からないような状態なんだから、そりゃ病気にもなりますわな。
しかし、そんな状態だった私の今はというと、肌色からしっかりと血色を感じられるようになった。
鈍感な私から見てものそう感じるのだから、当時いかに顔色が悪かったのかが窺い知れる。
土気色とか顔面蒼白ってよく言うから、てっきり茶色と青になるものだと思っていたけれど、今になってようやく違いに気付けたのでとても嬉しいのだが、恥ずかしいので誰にも言えない。
身近に身内も友達もいない私だが、そんな私の唯一の心の支えになったのは、とっても寂しいことにTwitterだった。
とはいえ、特別なことをしたわけでなく、しょっちゅう体調不良を呟いていただけなのだけど、ありがたいことに私には気にかけてくれる友達が存在したのだ。
声を大にして言いたい、友達がいたのだと。
そう、リアルではぼっちでもTwitterには長い付き合いのお友達がいるのだ。
彼女達は、私が凹んでいると慰めてくれたり、時には代わりに怒ってくれたり、一緒に悲しんでくれるだけでなく、具合が悪いのに病院に行かない私を怒る。
以前、彼女達に怒られて病院に行ったら「実は肺炎でした」という事があったので、あれ以来彼女達には頭が上がらない。
彼女達自身はどう捉えているか分からないが、私は彼女達をお母さんだと思ってどっぷり甘えさせて貰っている。
甘えるといっても、あくまでTwitter上のものだけど、それでもしんどい時や具合が悪い時にツイートをすると声を掛けてくれるので、罪悪感なく休養を摂ることができて随分心を救われている。
で、当時一緒に住んでいたはずの元夫はというと、私の顔色を気にすることは一切なかった。
だけど、それをすごく酷い仕打ちだとは思わない。
だって、見ていないのだから、当然気付くはずもないのだ。
多分これは元夫だけではなくて、世の中の大半のお父さん方が嫁の顔色の良し悪しを気にすることができないだろう。
分かりやすい表情と口調でも、上手く意思疎通を図らなくて離婚する人がいるわけだし。うちもそうだし。
なので夫が一緒に住んでいるからといって、男手があるという以外は安心はできないということだ。
ましてや、私の場合は離婚で元夫が転居して物音に怯えない生活が始まって、それからようやく顔色の良し悪しを把握できるようになったので、そもそも男手としても機能していたかどうかは分からないが。
そんなだから、今となっては核家族や密室育児を本当に恐ろしいものだと強く感じている。
そうこうして何年も悩んでようやく、
『なるほどこれが本来の私の顔色なのか』
と本来の自分の健康な顔色を把握することができたわけなのだけど、なんとそれがつい先日のこと。
つい先日、ようやく、把握したのだ。
顔色の良い状態の自分の顔を。
自分の顔のことを。自分の顔色のことなのに。
子供を産んで7年も経とうとしているのに、産後の自分の体調管理ができるようになったのつい最近。
いやー、怖いわ。
地の文が突然砕けるほど怖い。
そんなこんな紆余曲折あって健康を得たけれども、とはいえ悩みは尽きないもので、今度は鼻の下と眉間の赤みが強すぎて困っている。
それが原因で、今度はこれまで必要こなかったグリーンのコントロールカラーで部分的に赤みを抑えなければならないのだから、顔色が良いのも場合によっては煩わしく思う。
それでも、病気がちで医療費が嵩んでいた時期に比べれば、メイクに手間が掛かることなんて些細なことで、「こりゃ困ったねぇ〜」と口を尖らせる程度の呟きで済むのだから、健康であることがいかにありがたいことか考えさせられる。
あっちとあっちとあっちに住む淑女達、甘えさせてくれてありがとう。