5歳児発達相談に行くぞ
※放置したまま忘れていた記事を更新しています※
話が前後していますが、
後日談はこちら→5歳児発達相談 - いくらコンテナ
保育園で毎月初に配布されるプリントに『5歳児発達相談』のお知らせが入っていた。
なんでも、こういうことだそうで。
基本的な生活習慣が確立し、社会性を身につける重要な時期です。お子さんの発達や行動が何となく気になる、育てにくい、と思われることがあれば、お子さん自身も困っているかもしれません。 それは、お子さんの個性かもしれませんが、発達の偏りの可能性もあります。
対象は4歳児及び5歳児の保護者。
まぁ、察するに3歳児検診が過ぎたら後は検診が無いからだろう。
とはいえ、正確には4歳・5歳と母子手帳には検診結果を記録する項目があるのだが、あくまで任意で受けてくださいというスタンスのものなので有料。
病院によるとは思うけど、事前予約が必要で予算は大体2,000円ほど。
要するに、母子手帳は保護者のために記録するページを設けていると思われる。
でも変だよね。
検診でグレー判定受けた子が、発達障害だとハッキリ分かるのが3歳を過ぎてからといわれているのに、その3歳以降の任意検診が一度だけなんて。
大半が定型発達という体で国が負担を減らしたいのもあるだろうけど、まぁ4歳ともなるとママさん達も子育てに慣れて来ちゃってるから、子の発達に心配事が無けりゃただの面倒なイベントだもんね。
私だって何も考えることが無けりゃ行きたくないもんw
そもそも1歳児検診も2歳児検診も任意だけど、なんせ1歳半検診があるから受診率は低いらしい。
そりゃー無料ならまだしも、ただでさえ金のかかる時期に前後でそれぞれ金を払ってまでとは思うだろうなぁ。
検診なんてただでさえしんどいイベントなのに、上の子がいてまだ園に入ってなかったり、年子だったりしたら拷問でしかない。
うちは1歳半検診で言葉の指摘を受けたし、2歳前になったら保健士から
「言葉が遅いなら、言葉の相談窓口を予約してよね」
とじゃんじゃか電話が掛かってたもんで、やかましいそれならその窓口とやらも2歳児検診も予約したるわ!とブチ切れして予約するに至った。
(結局その相談とやらも、2歳児検診を受けるなら無理して予約しなくても良いだのなんだの、この保健士とは前後で一悶着あった)
まぁ、3歳児検診まで期間が空くので元々2歳児検診は受けておくつもりではあったが、この一悶着のせいでノイローゼになって散々な目に遭った。
保健士との相性、大事。
それはさておき、タイミングは地域によって異なるかもしれないけど、私が住む地域の3歳児検診は大体3歳半あたりだった。
おそらくは、発達障害か或いは定型発達かをここでふるいに掛けるのだろう。
そこで1歳半検診で引っ掛った息子だが、なぜか全く引っ掛けることなくクリア。
確かに難しいであろう自宅での視覚検査・聴覚検査を難なくクリアしたが、この時点でも色々相当怪しかったので引っ掛からなかったことが未だに不思議で仕方ない。
- 謎言語混じり
- 会話が一方通行
- 質問内容を理解できないとオウム返し
- 自分の物と他人の物の区別がつかない
- じっと座っていられない
などなど不安しか無かったのだが、
「マイペースではあるが、現段階では確定事項となるものが見当たらない」
ということで経過観察となった。
今でも忘れられないのが、保護者面談でそれを報告した時の保育園の先生の顔w
訝しげな表情でゆっくりと首を傾げて「はぁ……」
いや分かるよ。すげー分かる。
私も最後の保健士さんとの面談ポカーンだったもんw
そんなだからか、3歳児検診とやらはどんなことをしてどんな様子なのかを根掘り葉掘りと聞かれた。
まぁ、保育士の先生からしたら子供が起きてる大半の時間を一緒に過ごすわけだし、いい加減なことをやられて健常でない子を放任されちゃそら困るだろう。
さぞかし大変でしょうなと検診について包み隠さず報告した。
身体測定だとか、歯科検診だとか。
目と耳の検査は家庭でするけど、それが結構難しいのに息子は難なくクリアしてたことだとか。
1歳半検診の時にはあったフロアのおもちゃが無かったことだとか、みんなで歌ってお遊戯をしたことだとか、察するにそれらは発達チェックだとか。
そういうことを報告しつつ、
「うちはズルしておもちゃを持ってった」
と平然と述べたわけだが、別に持ってくるなとは言われてないわけだから知ったことかという話。
例え私がそれで職員が発達チェックをするだろうとなんとなく察していても、責められる筋合いはないからな。
大体、待ち時間が長くて長丁場と分かっているのに持って行かないわけがなかろう。
それを聞いた先生がやや引き気味で顔が強張っていたが、笑顔でその場をやり過ごした。
因みにおもちゃを持参したのは大成功。
ずっとおとなしくしていたとは言い難いが、母子共に待ち時間の苦痛は和らいだし、他所の子と遊んだり微笑ましい場面を見ることもできた。
余談だが、この一件があってから法事や役所など大人の用事に付き合わせる時は、ハッピーセットのおもちゃをリュックに入れて息子に背負わせて出掛けることにしている。
しかしまぁ、私が検診の話をそこそこにやり過ごしたとはいえ、先生からしたら息子がグレーでもなく普通に検診を終えたことは、納得致しかねる部分が相当あったのだろう。
面談中、オウム返しにしても指示が通り難いことにしても、指摘せずにはおられんといった様子だった。
分かる〜。
それは私も思うけど、クリアした以上は息子の立場になって返答するしかなく、
「他所の幼稚園の話を聞くと、入園したばかりの年少さんはみんな色々できないことが多いと聞きますし、ここは保育園だから早くから園生活してる子はうちの息子よりしっかりしてるかもしれないですね」
と精一杯のフォローを試みた。
そこで私の返答を聞いた先生、すぐさま訝しげな表情になるとゆっくりと首を傾げ、
「いやぁ……」
やだ……デジャヴ……。
さっきも見たぞそれ。あからさまに困ってるな。
あんたもそうか。私もだ。
いや、本当言わんとすることは分かるのよ。
◯◯は要る?と聞けば「◯◯は要るぅ?」
何してたの?と聞けば「何してたのー」
そこの□□取って〜と言ってもキョロキョロするだけで指示が通らない。
テレビの前から離れてと言っても、テレビは分かっても[テレビの前]という意味が理解できない。
私も通園させるまで毎日しんどかったもん。
ただ、これがどうも私が家で指導できてないことが原因だと思われてたらしく。
園のシステム上、登園下園で必ずしも担任と会えるわけではなく、むしろ会わないことの方が多いこともあって、まともに話したのが入園1ヶ月半経過したこの保護面談。
日々の細々としたことを園と連携ができてなかったことが、先生方の負担や保護者である私への不信感に繋がったのではないだろうか。
(この園のシステム自体がどうかとは思うが、人手不足な業界だから致し方ないと思われる)
例えばトイトレにしてもそうだけど、家でしっかりやってても登園下園の道のりで漏らしたら困るとオムツを穿かせていたり。
理由があってやってること、理由があって本人のペースに任せてること、経過を観察しながら促してること等、全部怠慢だと思われていたらしい。
……ということが分かったのは、年が明けてからの次の保護者面談だった。
実はそこに至るまで、先生から毎日のように指摘を受け続けていた。
ノイローゼ寸前だったこともあって、面談でこちらが伝えたいことを短時間にまとめられるとは思えず、どうしたものかと悩んだ末にテキストでまとめることにした。
息子の傾向だとか、趣向だとか、家庭での方針だとかを何日も掛けてパソコンで入力。
それをプリントして面談で渡したところ、
「ちゃんと(子供のことを)見てるんですね」
(゚Д゚)ハァ?
まぁ、先生にも色々あるんだろう。
後から保育士の親族に聞いたことだが、保護者から「いつになったらオムツが外れるんですか?」なんてなことを言われることもあるらしく。
子供のことを園に丸投げこ保護者もいるから、うちみたいにグレーの子の親がこうして誤解されて細かく指摘を受けることになるようだ。
どの本を読んでも書いてあることだけど、グレーの子や発達障害の子の遅れは決して親の責任ではない。
ないのだけれど、世の中色んな人がいるわけで。
できない、遅れてる、足を引っ張る、それが怠慢だと思われてしまうのは、実際に怠慢でそうなってる人がいる以上どうしてもとばっちりを受けてしまう。
そういう哀しい性なのかもしれないけれど……
正直、一緒にするなと言いたい。
私なんてADHDを自覚する前から、
「私は人よりドジだから、人の倍努力して、人の倍頑張らなきゃいけない」
と思い続けて社会人生活を続けたわけだよ。
しんどいことは全部人の倍やらなきゃいけないのに、それでもポカやる自分にどれだけ自己嫌悪して、どれだけ泣いてきたことか。
診断下りた時にホッとしたもん。
あー、これ全部障害だったんだって腑に落ちた。
もとい、そもそも我々みたいな人間はマイペースなのんびり屋さんだから周りに遅れを取っているわけで、意図して周りに遅れを取っているわけではない。
(よっぽど嫌なことは、後で大惨事になることが分かってても先送りにしたりするけどな!)
しかも、ただでさえ遅れているのに不器用でなかなか習得し辛いからますます遅れるわけだ。
同時進行のタスク処理も上手くできないし、段取りも下手となれば、年齢を重ねる毎に同年代の子と差が出る。
遅れていることを自覚してしまうと焦ってやっぱり失敗するし、それが重なると自己肯定感が下がって上手くできないという自己暗示に掛かってしまってまた失敗を重ねる負のループにハマってしまう。
そういう苦悩を分かっているから、発達障害の親は子に同じ思いをさせたくない一心で、ノイローゼになりながら必死で子と向き合って生活してるんだよね。
なんせ子に合った工夫が必要になるし、どんなやり方が子に合っているかも分からない。
指示を絵に描いたり、洋服に右左裏表に目印を付けたりとあれこれ視覚化するなど人より工夫をしても、やっぱり相手は子供だから興味がなけりゃやっちゃくれない。
試行錯誤で色々やって、やっぱり合ってなかったから元に戻すなんてザラ。
どんなに苦労しても水の泡なんてことは何度もあった。
でも結局のところ私は、
子供の遅れを受け入れて、それを容認して、信じてあげるしかない
という結論に至った。
子供のことを大好きでいればいいよねってスタンス。
ペース配分を合わせたり、視覚化だったり、その子に合った色んなやり方があると思うけど、一番は焦りとか、努力とか、配慮とかそういうものではなくて、愛情なんだなと。
簡単に言ったけど、決して簡単に至った結論ではなくて、血を吐くよう思いをして得た答えなので誤解のなきよう。
ノイローゼ寸前まで行ったけど、相性の良い育児本に出会ったり、小児科の主治医、自分の主治医に相談して息子に対しての見守り方が分かって今に至っている。
……というとこまで記事にして放置しているのを本日発見した。
公開しないまま現在に至った経緯はおそらく、あれもこれも引き合いに出してごっちゃになったのだろう。
今それを必死でまとめているところだけど、面倒になったのでここで終わりにする。
これこそがADHD
そういうことで5歳児発達相談に行くから!
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