突然の目覚め
不精にもほどがある。
何がというと、最早言わずもがなではあるが、サボりにサボりまくって数記事しかUPしていないこのブログの更新のことだ。
しかし、そうは言っても私だって何も考えていなかったわけではない。
『なぜ記事を更新できないのだろう』と漠然と考えながら、それと並行して『頭では考えているのに一向に気が進まないのはなぜだろうか』とうんざりはしてはいたのだ。
ただ、私という人間は考えている時間が長ければ長いほどやる気を失い、最終的に開き直ってスマホを片手にゴロ寝を決める、典型的な先送り人間なので、こうなってしまうのは致し方ないし、こうなることも予測済。
予測済みだからといって特別打つような手はないのだが、昨日読書をしていたところ、突然降って湧いた閃きでこれまでの自分の過ちに気付いてしまった。
『ためになるブログにしようとしてないか?』
恥ずかしい。とても恥ずかしい。
気付いてしまった今、むしろ気付かない方が幸せだったかもしれないと思ってしまうほどに恥ずかしい。
そもそも、多少は文章を書くことが好きではあるが、アルファブロガーになれるような文才は私にはない。
じゃあ何のためにブログを立ち上げたかというと、息子の発達で悩んだ時期に書き連ねた【振り返り日記】を整理したかったからだ。
(その振り返り日記で、あわよくばアフィリエイト収入を得てやろうなんてことは考えていたけれど)
何を勘違いしていたのだろうか。
確かにこれまで趣味で小説を書いたり、ブログで日記を書いたりしてきたが、一度だって人のためになるようなことは書いたことがない。
何かに怒り、苛立ち、頭の中に湧き上がる衝動を抑えられない時、それを文章にして最後にオチを付けることで消化してきたはずだ。
そりゃ突然、『私が経験したことを皆様にお伝えしたい』なんてことを考えてたら、筆が進まないのも致し方ない。
よくよく考えてみれば、子供を産んでからというもの、定期的に『誰かの役に立ちたい』という気持ちが湧き上がっているような気がする。
そうだ。それで思い付いた勢いで事をやり始めては、途中で疲れて尻すぼみしているじゃないか。
えっ、こわ……。自分こわ……。
そもそものび太的な生き方で生活してるんだから、誰かの役に立つより先に自分のことちゃんとしないとダメでしょうよ。
それより何より怖いのが、これに気付いたのが育児本を読んでいる時ではなく、東野圭吾の小説を読んでいる時だったことだ。
私の場合は子供のことだったが、何か一つのことに悩みが偏っていると、日常の何気ない情報もどんどん偏ってしまうのかもしれない。
例えば、Twitterなどで子供にワクチンを摂取させないお母さんなども、本当は何かしらに悩みがあって、色々調べているうちに意図せず浮世離れしてしまったのもしれない。
などと深刻に考えている私に、息子が呼びかける。
「お母さん、うんち出た〜!」
もう6歳やぞ。自分の尻くらい拭け。