いくらコンテナ

小学生のASD(知的の遅れなし)の息子とADHD母との備忘録。怒らない育児に忍耐を強いられるものの、度々決壊してはホワホワ無害系の息子に絆されて怒る気を失くす毎日を綴ります。

子連れは肩身が狭い

正直、肩身が狭い。

 

何が、って子供を連れ歩くことです( 'A`)

ああ、いたたまれない。

 

「ちょっとそこまで」がものすごく遠く感じる

子供を産んでからというもの、思っていた以上に機動力が落ちました。

そう、そもそもまず家から一歩出るのが大変。

 

子供の身支度が大変ってわけじゃないんです。

我々、母親の装備アイテムが移動手段で変わるのが大変なんですよ( 'A`)

 

乳児か。幼児か。

遠出か。近場か。

車で移動するのか。公共機関で移動するのか。

ベビーカーか。

抱っこ紐か。

それとも母子で歩くのか。

 

カバンひとつにしても車移動だとリュックは却って煩わしかったりしますし、

子供が走り始めたらリュックだけじゃなくて斜めがけのポーチを装備したり……。

なんやかんやあれも~これも~とやってたら出掛けるのが億劫になっちゃうんだなー。

 

出たら出たで気疲れ

息抜きで外出したはずなのにぐったり疲れて帰宅……。

あるあるですよね。例に漏れず私もです。

 

我が子とはいえ子供がそこにいるだけでも十分大変で、心も身体も息切れ状態なのに、子を持つ親は周囲の大人にも気を配らなければならないんですよね。

そらもう当然のことですよ。分かってます。

 

しかし、なんせまぁ社会性の無い幼児を連れてるわけですから、あっちにスイマセンこっちにスイマセンとペコペコしまくり。

ただでさえ子供を死なせないように少し出歩くだけでも必死なのに、配慮に重ねる配慮で電車やバスの降車を余儀なくされることも多々あります。

 

でも、配慮している割にお詫びをしている視線の先にお互い様の精神が全く感じられず、いたたまれない気持ちになってその場を立ち去ることもしばしば。

母子でのお出かけは我慢と忍耐が強いられ、消耗する気力と体力を振り絞って帰路に着かなければならぬのですよ(´;ω;`)

 

周囲から向けられる視線が無言の圧力に感じてしまう

昔の人はどうだったのか分かりませんが、我々子育て世代って結構厳しい目に晒されているんじゃないでしょうか。 

  • お前らが避けろ。
  • 絶対に人や車に当たらないように親が管理しろ。
  • 管理できないなら抱くかベビーカーに乗せとけ。
  • だが電車ではベビーカーは畳んで隅に寄れ。
  • しかし座席と端っこは俺が守る。
  • おっと、抱くなら靴は脱がせろ。
  • 混雑時は公共機関を利用するな。歩くかタクシーに乗れ。
  • おい。乳児を卒業したら立たせろ歩かせろ。
  • 大きな声で子供を怒るな。
  • だが子供を走らせるな。
  • エスカレーターで子供と横に並ぶな。
  • 家の中にばかりいないで外で遊ばせろ。
  • うるさい大きな声を出すな静かにしろ走るな危ない迷惑を掛けるな。

これくらいのルールを強いられているように感じます。

もちろん思い込みによるものもあるかもしれないですがw

そういうもんだと諦めちゃってるところはあるんですが、やっぱり心の何処かで理不尽だなとは思いますよ。

ベビーカーをほぼ卒業した現時点でも、あまりの居心地の悪さにその場を立ち去ることが多々あります。

 

子供と出歩くということは、常に気を張らねばならぬということ

でも、自分以外のことに対して常に気を張った状態って疲れません?

ましてや、ちょっとのことで死ぬような小さい子供を連れ歩いているわけですから。

一人で電車に乗ってたらため息ひとつ吐くくらいの余裕はあるし、なんなら車窓から外を眺めてボーッとしてリフレッシュすることもできるけども。

ちょっと気を抜いたらウロウロしたり、ベビーカー乗せててもドアに手を挟まれるんじゃないかって気が気じゃなかったり、足をぶらんぶらんして人様のズボンを蹴ってしまうかもしれない怪獣連れてたら、ねぇ!

 

疲れるって!

 

最低限のルールは守るので大目に見てもらいたい

Twitterのツイートなどを見ると我々子育て中の人間は粗探しされているような状態です。 

 

とはいえ、迷惑になるからと外では常にベビーカーというわけにはいかないのに。

 出れば気を使うという理由で、母子で引きこもる方も多い気がする……。

私も結構外出渋りますもん。

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1歳8ヶ月くらいの息子。

とうとう足から這って階段を降りているのを見つけた時の写真がこちら。

当時息子は、階段を這って登るのみで降りることができなかったんです。

できることを駆使して、不可能を可能にしていることにかなり驚きました。

なるほどその手があったかとw

こういうことがあるから出先では全く気が抜けなかったですね。

クモかよ……。

 

母子という形から受ける周囲の視線

そうそう、不思議なことにパパがいると厳しい視線を感じません。

その場に居ることをいたたまれなく感じるのは母子の時だけ。

 

突然怒られるのも母子の時だけなんですよ。

もちろんそれは、私がちょっとおかしい人のエンカウント率が非常に高いことも原因ではあるんですが、それにしても理不尽なことで怒られること怒られること。

 

きっと母子ってのは、一部の人にとってかなり弱い立場で捉えられていて、一部の人にとってのストレスのはけ口になってるんでしょう。

勘弁してくれよ。

 

どうにかなんないもんですかねぇ。

今のところ、自衛の方法は〈心を強く持つ〉ことくらいですわー。