今日は息子が寝たよ
今日は寝たねー。寝ちゃったよ~。
……とカチャカチャやっていたら、起きた。
仕方なく、翌日の深夜しっかり寝入ってからこれを打ち込んでいる。
不思議なもんで早寝すると私がしばらく横にいないと察知して起きるのに、夜中に寝始めると何をしても起きないほど熟睡する。
パンツを食い込ませて「ふんどし!」なんてことをやっても寝ている。
早寝してもそうであってもらいたいものだが、思うようにならないものよ。
以前、息子が夜なかなか寝ないって話を記事にしたんだけれども。
いやー、やっぱり寝ませんわ。夜も寝なけりゃ昼寝もしませんわ。
多分、うちの息子は完全なる夜型人間体質のようで、寝不足は平気だけど朝めっぽう弱いみたいで放っておけば昼間で寝る。
何を隠そう私もそうだ。
宵っ張りの朝寝坊を地で行く生き様はバッチリ遺伝したのだな。
遺伝子レベルでの問題となると避けられない運命だったようだけど、義務教育開始前から朝起きて行動するのは余儀なくされるし、社会人になっても避けられぬ習慣だというのに。
なんと哀れな。私がそれで苦労したのに、息子のお前までそうなってしまうとは……。
しかし、そこを何とか習慣付けて母子で修行をせねばと心を鬼にして自分に厳しく、息子には仏の心を持って寝かしつけしていた時期もあったが、今となっては心の鬼は徹底的に退治して、仏と忍耐はバキバキのボキにへし折ってコテンパンにしたので、自堕落な私と宵っ張りの息子が夜更かしをする日々を送っている。
鬼も仏も忍耐の心もいらん。どこぞの立派な人にくれてやるから私の心に平穏をくれ、といったところだ。
だって考えても見て欲しい。
育児は周りの人間がいて協力してくれたら少しは楽になるが、協力してくれるはずのそこにいるの人間が一番の障害になってしまうことだってあるのだ。
寝かしつけの前に家事を終わらせて、
お風呂に入れてゆっくり化粧水塗る余裕も無いまま歯磨きさせて、
真っ暗闇で何の娯楽もないまま子供をトントンしたり、さわさわして、
1時間以上掛けてようやく落ち着いてきたな~これから寝るかな~
ガチャッ……
お父さん帰ってきちゃったね。
テンション爆上がりで子供が出迎えに走って全てが無に帰るね。
これあるあるね。あるあるだけどガチャっとドア開いた瞬間、
「おのれ……謀りおったな……」
という並々ならぬ怒りが湧く。
煮え湯を飲まされたと言っても過言ではない。悪気はなくとも許せない。
しかし、私は走り去る息子の背を睨みつつ、抑え切れないネガティブな感情を押し殺すしかない。だって、怒鳴ったところで子は寝ないのだから。
苛立つ気持ちを抑えて、暗闇でツムツムでもやってブルーライトをしこたま浴びた方がまだ健全だ。
そもそも、寝かしつけがやったらやっただけ身になる努力なら、息子はとっくに早寝早起きの習慣が身に付いている。
断言できる。私は努力した。でも寝ないもんは寝ない。
私がどんなに努力と工夫をこらしても、何やっても寝ないんだからもう諦めて寝るまで放っておくことにしたのだ。
それと残念ながら私は、真面目にコツコツ努力続けていくような立派な忍耐は持ち合わせていないし、これから先も無理して忍耐を続けるつもりもない。
宵っ張りの朝寝坊が遺伝子レベルの問題なら、切羽詰ってケツに火が点いてからやるしかないのだ。
苦労すればいいのだ。息子が。
(しかし、それに伴って私も苦労してしまうだろう未来がハッキリと見えて、ものすごく辟易している)
あとこれは少し言い訳になってしまうが、ADHDの特性持ちが育児をする以上、一般的に努力が必要なことでは楽に逃げて、できることで工夫していく方が周りの人間のためだと思っている。
育児に限らず、本人は必死で苦労して七転八倒していても、そういうことこそ身にならないことが多々あるし、それこそ身にならなかった結果によって悪い方向に転がったり、物事が思うように運ばなければ感情を爆発させることもある。
何を隠そう私がそうだ。隠してないけど。
ましてや育児となると、身にならなかった結果の状態の子供が泣いたり暴れたりするのだから、現在進行形で育児をしている人間からすれば最中の心境は推して知るべしだ。
でね、周りの人間てのは静かにしてると視界に入らないけど、騒げばどうしても目に付くから、要は感情を爆発させたところだけを見せてしまう結果につながる。
Twitterやfacebookでも母親がパンクした状態だけを切り取って、場合によってはそれを盗撮して槍玉に挙げているのを見かけるが、あれだってきっと溜まりに溜まってああなったに違いないだろう。
息子が大好きなシン・ゴジラのカヨコ・アン・パタースンのセリフに「ランドゥー・ヤグチがbetterな選択」ってのがあるが、石原さとみのbetterの発音が気になって、毎日私の脳内で繰り返し再生されて困っている。
もとい。カヨコのセリフを拝借して言い換えるのならば、〈夜更かしする息子を無理して寝かしつけないのが私のベストな選択〉なのだ。
それに寝ない寝ないと苦労して、拘束時間だけが長くなる状態で精神状態を悪くするのはbetterな選択とは言えない。
21~22時頃に帰ってきた夫の横で、その夫に手渡されたiPadでYouTubeを観る息子を尻目に、ツムツムをするのが私にはベストな選択というわけだ。
この後、寝かしつけを台無しにした夫がデカイ声で電話しながらゲームを始めるのだ。
だから私は、少しの間だけであっても穏やかな気持ちで過ごしておかなければならない。
私が乙事主様だったらとっくに祟り神になっている状況なのだから。
ダメーッ‼ 乙事主さま‼ タタリ神なんかにならないで!! 乙事主さま‼
ブヒィィィ‼
息子誕生
息子が三歳半を過ぎてようやく育児日記だけでなくブログの記事にする気力が出たので、ポツリポツリと更新していこうと思う。
初産
息子は、私が36の時に授かった初めての子だった。
結婚も出産もさっぱり諦めた時期にひょっこり夫と出会い、何の苦労もなく授かった所謂デキ婚というやつだ。
完全なる高齢出産で、正にこれから体力が右肩下がりになるようなお年頃。
初めに掛かった個人経営の産婦人科医による独断での断薬指示で、つわりと薬の離脱症状が同時にやってくるなど、妊娠初期には色々あったが経過は良好で、妊娠9ヶ月くらいまでは順調に体重も制御していた。
が、仕事を辞めてしまってからは一転。毎週1kgずつ増えていくような悲惨な状態に。
転院した先の大学病院の産科医も「難産になるよ」と呆れ顔だったが、案の定の難産で14時間の陣痛に耐えた。
陣痛は、2014年12月26日の深夜22時あたりからじんわりと始まった。
初産で前例がないため、10分置きにやってくる差し込むような痛みはまだまだ我慢できるものの、ただただ恐ろしく、確か2~3回病院に電話するような状態だった。
義母や親姉妹が近くにいれば、その場で色々と教えてもらえたのかもしれないが、なんせ横にいるのは夫だけだったもので不安しかなく、一刻も早く病院に行きたかった。
病院に到着したのは日付を越えた27日の0時過ぎ。
張りも微弱ながら10分刻みだったこともあってか、そのまま入院となった。
が、その日は昼寝もせずかなりの距離をお散歩したせいか、時間が進むにつれてどんどん眠気が増し、それに伴って体力が低下していった。
あまりの眠さに陣痛の合間に寝るもんで、眠い→寝る→痛い!→眠い→寝る→痛い!の繰り返し。
所謂、微弱陣痛というやつだ。
おそらくは、私の眠気と体力不足によるやる気の無さも原因の一つであろう。
そんな私を見て、先生も呆れて「赤ちゃんが危ないし」と促進剤を点滴。
(後述するが入院決定後すぐに破水していたのに助産師にスルーされたため、いつでも促進剤を打って産むべき状態だった)
五分も経たないうちに子宮口が全開になったのだが、これがまぁ痛いのなんの。
これまでも痛かったのに、痛みで身体が跳ね上がるような痛さ。
それでなくともじっとしていられないほど痛いのに、ここで助産師さんによる内診が行われる。
経産婦さんならご存じだろうが、膣に指を入れて触診するのだ。これがまた乱暴でかなりの苦痛を伴う。
子宮口全開を確認した助産師さんにそうかさぁ動けそれ動け分娩室だと急かされ、痛い痛いと泣き言をのたまう隙も与えて貰えずせかせかと移動。
(このあたりはぼんやりとしか覚えておらず、ほぼ夫からの情報)
そしてようやくやって来た分娩台。
ここで産みさえすればこの痛みから開放されるのねと思ったのも束の間。
助産師さん「はい乗って〜!!!!!」
私の腰より上の高さの分娩台に乗れと言う。
そんな無茶な、という気持ちを声に出すこともできないほど憔悴していた私だったが、恐らく表情には出ていただろう。
「早く! 早くしなさい!」
それを察してか、いいから乗れと助産師さんは怒る。
30もとうに過ぎた女があんなに叱られることもそうなかろう。
そらあっちだって乗るか乗らんかで産み落とされても困るんだし、あの剣幕で怒るのも仕方ないが、あの状況で叱られるとちょっと凹む。
あちらも仕事だから、そんなことに情なんて掛けてられないのは百も承知だが、あまりにあんまりじゃないか。
もっと……優しくしてよ!(´;ω;`) ※いい大人です
そんな私の思いを知ってか知らずか、ヒーヒーフーフーと大きな腹を抱えてよじ登るように分娩台乗るも、当然のことながら労いの言葉などない。
ましてやちょっとゆっくり、なんてさせてもらえるはずもない。
どうやら劣等生らしくメチャクチャ怒られる。
もう少し下に移動しろ、足をここに乗せろ、股を開け、息を吐け腹に力を入れるな、それ今だいきめ、目をつぶるな、息止めてんじゃねぇ、息を吐け、もっと力め、舐めてんのか気合いが足りねぇとばかりに怒る。
それでも必死に頑張るものの、全然いきみが、足りないと、おっしゃるんですよ。
助産師さんも開始早々こいつ下手くそだなと思っているに違いないが、上手いとはいかに状態の私に力不足を改善できるはずもない。
「赤ちゃんだって苦しいんだよ!」
「もっと頑張りなさーい!」
「もっと力んでー!!!!!!!」
「息は止めないで!!!!!!!」
叱咤激励というより、どんじりにいる駄馬に最初から最後まで鞭を打っているような状況が正しいと思う。
助産師さんのええいもうしっかりしてよという心の声が聞こえるようだ。
「あー!◯◯さん!!! ここ踏んで!!! いきんでーーーーーー!!!」
埒があかんと思っただろう助産師さん、今度はこれまで膝の裏を乗せていたところを今度は足の裏で踏めと言う。
(要は寝転んだ状態でのウンチングスタイル)
死んだカエルがひっくり返ったようなスタイルで分娩を強いられる私。
この姿をもし撮影されでもしたら、私はその場で首を掻き切って死ぬだろう。
実際には陣痛にもがき苦しんでいるのでされるがままだが。
それでもいきみが足りなかったらしく、助産師から「◯◯さん! 出てこないから吸引分娩にするよ!」と声を掛けられ、返事をする間もなくバスンッという音が聞こえた。
それがまぁ痛ってぇのなんの(二回目)
(後日談だが、夫によるとこのバスンッという音と共に血飛沫が上がったらしい)
見える部分が刃物でスパッと切れて後から痛みが湧くようなものと違った痛みで、血液がそこに集まるような感覚と共に、火が点いたような熱さと降って湧いた痛みが走った。
あまりの痛みに「いっったーーい‼‼‼‼」と叫んだ覚えがある。
それからすぐに先生が機械を取り出したという。
(夫曰く、まるでバック・トゥ・ザ・フューチャーにでも出てきそうだったらしい)
そのあたりは微塵も記憶にないが、先生がそのメカでカッポ〜ンと音を鳴らしたことを鮮明に覚えている。
正確には鳴らした、ではなく赤子の頭にくっつけた吸盤が外れた音だが、それがなんとも場にそぐわぬ音で、間が抜けているというかなんというか。
息を呑むようなシーンで鹿威しが鳴り響くような、能や歌舞伎の鼓の掛け声のような、我々が過ごしている日常では流れない突拍子もない音なのだ。
平常時なら腹を抱えて笑ってるところだが、この時ばかりはなんとも言えぬ焦りが湧いた。
自分の股ぐらにある恐らく赤ちゃんの頭に吸盤をくっつけて、体格の良い成人男性が外れた反動で後ろによろめくのだから、「これを続ければ赤ちゃんに悪影響を及ぼすのでは」という考えがスッと湧いて、これはヤバイ頑張らねばとこれまでの〈早く終わらせたい〉という後ろ向きな姿勢をやる気にスイッチさせた。
しかし、この期に及んでも私という人間はまだ助産師さんに怒られるのだ。
いきめいきめ、目を閉じるな、息は止めるな、息は吐けと怒鳴る怒鳴る。
いや実際、この場で怒鳴らないと逃げの体制に入る人も多いからこうなんだと思いますよ。特に私のような人間は。見抜かれてたからこそ怒鳴るんでしょう。
でももっと優しくして。本当に。
で、先生が二回目のメカでカッポ〜ンをやったあたりでもう一人先生が登場。
よいせと私の腹に乗る。
ええっ!? そこ乗るの!? 私は思った。私の頭側にいた夫も思った。
出ないと押し出すとは聞いてはいたが、両手で押すとかそういうレベルではないんですよこれが。
片膝を立てて腹に飛び乗るんですよ。何度も。激しく。
妊娠中あれほどみんなに優しく撫でて過ごし、筋腫があるから妊娠中無理をするなと産科医に言い続けられ迎えたお産で、産科医が腹に飛び乗るんですよ。
股ぐらで赤子に吸盤くっつけて引っ張る産科医、妊婦に怒鳴る助産師が二人、赤子引っ張るタイミングで腹に飛び乗るもうひとりの産科医。
まるで私を囲んでお祭りしてるみたいだったな……。
結局、メカカッポン四回で息子が誕生したわけだけれど、その喜びより、出た、終わった、ようやく寝れるという気持ちだった。
達成感とかではなくて、あれは多分カタルシスに近い。
それと、私はそこそこに頭がお花畑の妊婦で夫にべた惚れだったので、ずっと付き添ってくれた夫と乗り越えられたわぁ~キラキラキラという気持ちとで生まれた赤子そっちのけの部分てんこもりで、今思い返せば息子に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
その後、胎盤出したり、陰部を縫合したがこれが相当痛くてそこそこに修羅場だったが、先が見えてるのでお産の苦痛に比べればどうということはなかった。
それから縫合の前だったか、後だったか。
産まれてすぐ産声も上げない息子を、ぼんやりと眺めていた記憶がある。
疲れて働かない頭と消耗しきった重だるい身体を分娩台に横たわらせて、なんで泣かないのかなぁ、大丈夫かなぁ、誰も何も言わないなぁとか、そんなことを考えていたように思う。
ように思うというのも今思えばだが、出産というのが壮絶すぎて頭が現実逃避した状態になったのだろう。そのため、お産が終わってしまってからも離人感が残ったのではないだろうか。
助産師さんに吸引器でお掃除してもらってようやく、ホギャアホギャアと弱々しく泣き出したのだが、それすらもあーなんか泣いたわーと感動を抱くでもなく、関心のないテレビをボーッと眺めているような心境でなんの感動もなかった覚えがある。
後から母子手帳見て分かったことだが、あれが新生児仮死というものらしい。
へその緒も首に二重に巻き付いてたらしく、息子は本当に危なかったようだ。
人間は他の哺乳動物の発育状態に比べて、約1年早く産まれるらしいが、
参考記事:ヒトの「生理的早産」 (助産婦雑誌 51巻5号) | 医書.jp
それならそれで、生まれてすぐから母性をバンバン湧かせてしっかり子を守るべきなのだが、実際にはそう上手くはいかないらしい。
産後ハイの異様なテンションで子供のお世話より私の話を聞いて状態になる人もいれば、マタニティブルーから産後鬱まっしぐらの人もいるし、それこそ私のように抜け殻になったりするので、人間は集団で生活しなければどうにもならないような不完全な生態なのだろう。
しかし、壮絶なお産を乗り越えるためとはいえ、子供が産後すぐ一人でお乳も飲めない上に一年近く歩けないだけでなく、母親まで産後すぐに母性も湧かずポンコツとはいかがなものか。
口をポカンと開けて、瞳孔も開いたままボ~っとしているような状態の母親をそのまま24時間の育児に突入させるとはいかがなものか。
女に試練与えすぎじゃありませんか神様。
それはそれとして、そんな状態の私に産科医や助産師はこいつ親として大丈夫かと思ったか、まぁこんなもんだろと思ったかどうかは分からないが、私が息子が3歳近くなるまで育児に苦労したことは間違いない。
それからは、夫が後産の胎盤を見て貧血起こして退席したり、スッキリして戻ってきた夫に「お疲れ様」と言って「いやあなたがね」と総ツッコミを食らったりと短い時間で色々とあったが、ようやく痛みから開放されてゆっくりできることになった。
母子同室だが、一日目は息子は病院で管理されるので完全に解放状態。
やれやれと病室に車椅子で病室まで運ばれて、さあ着替えてのんびりしようとしていたら、
「なんか途中で破水してたらしいよ?」と夫。
なんだと……?
それじゃ本当はもっと早い段階で促進剤打ってもらえていたではないか。
というのも途中、ジョバッという感覚があったのだ。
しかしなんせ経験がないもんで、痛みが来た瞬間につい力んだ拍子のことでおもらしだと思ってしまって強気に出れなかった。
それでも一応、どっちか分かんないから確認してくれと助産師さんにお願いはした。
したものの、助産師さんは内診をしてそのまま何も言わず退席した。
今あの瞬間にタイムスリップできたなら、もっと強く出て必死のアピールに打って出るだろう。
それですぐ促進剤を打ってもらえるとは限らんが、14時間の苦しみが少しでも短くなるなら頑張ると思う。
並々ならぬ怒りを抱えていたが、壮絶な長い夜を過ごしたため、ようやく眠れるという安堵の方が買っていた。
私の場合、のんびりする=ごろ寝でスマホで、ポチポチやってるうちに眠気もやってくるのだが、この時ばかりはどうしたことか一向に眠くならない。
子供を預かって貰ってるのに全くといっていいほど眠れない。明日には母子同室だというのに全然眠れない。
何やってたのかは全く覚えていない。ただ浮ついていたことは確かだ。
産後すぐ出てきた飯が死ぬほど質素少なくて、泣き笑いしながら写真に撮ってひもじい思いをしながら食ったことも確かだ。
その後は持病もあって、助産師さんの計らいで最終日まで預かってもらったにも関わらず、日中そこそこ苦労したり、合わない助産師に失礼なことを言われて泣いたり色々あったが、母子ともに健康に退院となった。
以上、2014年の大晦日を病室で過ごし、豪雪の元旦の午前中に追い出されたお産の思い出でした。
ちなみに、大きな病院だったこともあってか助産師から産前にあまり指導してもらえず、お産も産後すぐも不安だらけでした。
(お産中の希望やカンガルーケアの希望などその他入院関係の書類一式を持ってきているのに、出すタイミングが分からないまま聞いても貰えずお産を終えるなど)
大きな病院でお産の予定がある方は、助産師をひっ捕まえてでも質問攻めにした方が良いです。
生まれ変わったら大学病院なんかで絶対産まねぇ。
世の働くお母さん方に強い憧れを持つ
できれば週一更新、保育園が始まったらできれば毎日更新したい。
……と思っていた時期がありました。
実際はここまで放置してしまったわけです。
そもそも、私はやり始めたら完璧を目指すタイプで、それができないから途中放棄することもしばしば。
しかし、育児となるとそうはいかない。
そもそも時間のやり繰りが上手なタイプではないこともあって、日中息子がいる状態では家事育児で手一杯。
それじゃあ子が寝てからやろう、と思ってもまず寝ない。
それでも寝てしまえば起きないんだからと自分を奮い立たせて寝かしつけ。
しかし、ようやく寝たぞと思っても、それは私が隣に寝ていればの話。
しかも気合いで早く寝かせた日に限って起きてしまって、ケロッとして布団で日付が変わるまで起きているなんてしょっちゅう。
なにくそ朝早く起こせば早く寝て起きないだろうと思い、眠い目を擦って早起きさせても最悪昼寝すらしないまま22時を過ぎても寝ない。
親の私のほうが毎日疲労困憊で眠ってしまいたいのに、疲れ過ぎて寝付けない。
にも関わらず日も登らないうちに目覚めてしまう。
そんなだから毎日疲れ果ててしまい、息子を寝かしつけたらTwitterを流し見て寝落ちてしまっていました。
ようやく保育園お思ったらあれもこれもと準備に追われ、通園が始まったら子のフォローと毎日の通園の準備とで親の私がヒーヒー言って生きるのが精一杯。
送り迎えにしたって大人の足でたった10分程度の距離も、三歳児と歩けば30分は平気でかかる。
抱っこ抱っこの日は、荷物と子を抱えてヨイセヨイセ。
おまけに猛暑で早い時期から暑いもんだから、汗だくで送って汗だくで帰宅したら掃除洗濯。
……この時点で昼を過ぎてますよ。
晩御飯の準備をしたり、新たに購入した保育園に必要な物の名前付けなんてしてたらあっという間にお迎えの時間。
世のお母さん達すげーよ!
こんな感じで生活しててよく仕事できるな!
おまけに病気知らずだった息子は、園に通い始めてからというものしょっちゅう風邪を貰ってくるわけですよ。
1週間行ったら1週間休む生活がまだ続いてます。
途中ストレスから免疫力が落ちたのか、私が肺炎を患って喘息を再発させるイベントがあったりと散々な夏を過ごしています。
「こんな生活もう嫌だ」とローンで子供乗せ電動アシスト自転車を買ったんですが、あまりに神がかった乗り物だったのでまた更新します。
子連れは肩身が狭い
正直、肩身が狭い。
何が、って子供を連れ歩くことです( 'A`)
ああ、いたたまれない。
「ちょっとそこまで」がものすごく遠く感じる
子供を産んでからというもの、思っていた以上に機動力が落ちました。
そう、そもそもまず家から一歩出るのが大変。
子供の身支度が大変ってわけじゃないんです。
我々、母親の装備アイテムが移動手段で変わるのが大変なんですよ( 'A`)
乳児か。幼児か。
遠出か。近場か。
車で移動するのか。公共機関で移動するのか。
ベビーカーか。
抱っこ紐か。
それとも母子で歩くのか。
カバンひとつにしても車移動だとリュックは却って煩わしかったりしますし、
子供が走り始めたらリュックだけじゃなくて斜めがけのポーチを装備したり……。
なんやかんやあれも~これも~とやってたら出掛けるのが億劫になっちゃうんだなー。
出たら出たで気疲れ
息抜きで外出したはずなのにぐったり疲れて帰宅……。
あるあるですよね。例に漏れず私もです。
我が子とはいえ子供がそこにいるだけでも十分大変で、心も身体も息切れ状態なのに、子を持つ親は周囲の大人にも気を配らなければならないんですよね。
そらもう当然のことですよ。分かってます。
しかし、なんせまぁ社会性の無い幼児を連れてるわけですから、あっちにスイマセンこっちにスイマセンとペコペコしまくり。
ただでさえ子供を死なせないように少し出歩くだけでも必死なのに、配慮に重ねる配慮で電車やバスの降車を余儀なくされることも多々あります。
でも、配慮している割にお詫びをしている視線の先にお互い様の精神が全く感じられず、いたたまれない気持ちになってその場を立ち去ることもしばしば。
母子でのお出かけは我慢と忍耐が強いられ、消耗する気力と体力を振り絞って帰路に着かなければならぬのですよ(´;ω;`)
周囲から向けられる視線が無言の圧力に感じてしまう
昔の人はどうだったのか分かりませんが、我々子育て世代って結構厳しい目に晒されているんじゃないでしょうか。
- お前らが避けろ。
- 絶対に人や車に当たらないように親が管理しろ。
- 管理できないなら抱くかベビーカーに乗せとけ。
- だが電車ではベビーカーは畳んで隅に寄れ。
- しかし座席と端っこは俺が守る。
- おっと、抱くなら靴は脱がせろ。
- 混雑時は公共機関を利用するな。歩くかタクシーに乗れ。
- おい。乳児を卒業したら立たせろ歩かせろ。
- 大きな声で子供を怒るな。
- だが子供を走らせるな。
- エスカレーターで子供と横に並ぶな。
- 家の中にばかりいないで外で遊ばせろ。
- うるさい大きな声を出すな静かにしろ走るな危ない迷惑を掛けるな。
これくらいのルールを強いられているように感じます。
もちろん思い込みによるものもあるかもしれないですがw
そういうもんだと諦めちゃってるところはあるんですが、やっぱり心の何処かで理不尽だなとは思いますよ。
ベビーカーをほぼ卒業した現時点でも、あまりの居心地の悪さにその場を立ち去ることが多々あります。
子供と出歩くということは、常に気を張らねばならぬということ
でも、自分以外のことに対して常に気を張った状態って疲れません?
ましてや、ちょっとのことで死ぬような小さい子供を連れ歩いているわけですから。
一人で電車に乗ってたらため息ひとつ吐くくらいの余裕はあるし、なんなら車窓から外を眺めてボーッとしてリフレッシュすることもできるけども。
ちょっと気を抜いたらウロウロしたり、ベビーカー乗せててもドアに手を挟まれるんじゃないかって気が気じゃなかったり、足をぶらんぶらんして人様のズボンを蹴ってしまうかもしれない怪獣連れてたら、ねぇ!
疲れるって!
最低限のルールは守るので大目に見てもらいたい
Twitterのツイートなどを見ると我々子育て中の人間は粗探しされているような状態です。
とはいえ、迷惑になるからと外では常にベビーカーというわけにはいかないのに。
出れば気を使うという理由で、母子で引きこもる方も多い気がする……。
私も結構外出渋りますもん。
1歳8ヶ月くらいの息子。
とうとう足から這って階段を降りているのを見つけた時の写真がこちら。
当時息子は、階段を這って登るのみで降りることができなかったんです。
できることを駆使して、不可能を可能にしていることにかなり驚きました。
なるほどその手があったかとw
こういうことがあるから出先では全く気が抜けなかったですね。
クモかよ……。
母子という形から受ける周囲の視線
そうそう、不思議なことにパパがいると厳しい視線を感じません。
その場に居ることをいたたまれなく感じるのは母子の時だけ。
突然怒られるのも母子の時だけなんですよ。
もちろんそれは、私がちょっとおかしい人のエンカウント率が非常に高いことも原因ではあるんですが、それにしても理不尽なことで怒られること怒られること。
きっと母子ってのは、一部の人にとってかなり弱い立場で捉えられていて、一部の人にとってのストレスのはけ口になってるんでしょう。
勘弁してくれよ。
どうにかなんないもんですかねぇ。
今のところ、自衛の方法は〈心を強く持つ〉ことくらいですわー。
とうとう1歳半で走り始めた我が子にヒヤリ
どうもこんにちは。
そろそろ子供の保育園の入園を控えておりますが……未だに生活習慣を正せておりませんorz
息子が夜寝ないのはまだ良い(良くないよ?)として、なぜか朝起きれない。私が。
こんなことではいかんのですが、おそらくギリギリにならないと追い込まれないでしょう。
それはさておき、今日は活きが良い子供のお話。
子供がヨチヨチ歩いているのはほんの少しの間
育児を終えた先輩母さんに
「今が一番かわいい」
「手がかかるのは今だけ」
「すぐに大きくなる」
「これからが大変」
と言われ、今がつらくて先が見えないのに未来のことを言われてとても苦しかったことを覚えています。
……そうは言いますけどね。
私だって、今この瞬間を楽しみたいって気持ちが無いわけじゃないんですよ。
このヨチヨチしてる生き物は転んですぐ死ぬんじゃないの?
って気持ちの方が大きいわけですよ。
あと常に子供と向かい合ってると、常に子どもの発達のことで悩んじゃうんです。
精神的に追い詰められてる上、産後から蓄積された疲労と落ち行く体力との狭間で、子供を死なせないミッションを毎日やり過ごすだけで精一杯……。
そういうふうになっちゃうの私だけじゃないはずぅ〜(`;ω;´)
実際に私は子供を産んで3年と3ヶ月経ちましたが、子供が走り始めてからとても長い期間苦しんだなと感じています。
確かに写真を見れば、あ~こんな頃もあったなとか、もうそんなに経ったっけ~とは口にしますが、悩んでいた期間を「その後すぐにできるようになったし、悩む必要はなかった」と簡単に言えるほど楽ではなかったですw
いつから走るのか
個人差はあるものの早い子なら1歳を過ぎた辺り~1歳半くらいからダッシュし始めるんじゃないでしょうか。
うちの息子は好奇心旺盛なタイプなので、生後5ヶ月を過ぎた辺りからズリバイを始め、翌月には伝い歩きを始めました。
イタズラされると困る物を上に避けたら、今度はそれを狙ってあちこちよじ登り始める怪獣が爆誕してしまい、やんちゃな息子の様子をカメラで撮りつつ、
「この子すぐ歩き始めてしまうのでは?」
と期待と焦燥感でソワソワしたものです。
歩きたい欲求は子供を鮮魚に変身させる
しかし、実際に手放しで歩いたのは1歳直前。
そうよね、こんなものよね本来は……と安堵し、私の顔を見てよちよち歩きでニコニコ近寄る息子を微笑ましく見守っていたのは、ほんの僅かな間でした。
ある日、家族3人でショッピングモールに行ったときのこと。
突然、顔を真っ赤にして身を捩る息子。
夫が仕方なしに抱っこするも、活きが良いのでビタンビタンと仰け反る仰け反る。
鮮魚化した息子と格闘する夫を尻目に、UNIQLOで家族3人分のアレコレを買って店を出ると、そこには……。
床を這う息子と死んだ目の夫が――。
「俺の手には負えない」と夫がギブアップ宣言をしたため、慌ててベビーザらスへ走り靴を買う羽目に。
それから実際に走り始めるようになったのは、1歳3ヶ月〜1歳半くらいでした。
冷や汗を流しつつ息子を追いかける日々の始まりというわけです。
(病院内で遊ぶ1歳4ヶ月の息子。確かこのくらいで走り始めた)
気が付けばいつのまにか走ってる
そう、ヨチヨチ歩いてたはずなんですわ。
突然めっちゃ早くなるんですわ。
どこで練習したん?あんたこないだまで這って移動してたじゃん?走るの?
みたいな。
……本当は手をつないで歩く練習しなきゃいけないんですよ~。
のらりくらりやり過ごしてたんですわ~。
だって、小さい手を必死で掴んでても、ぬるりぬるりと手を引き抜いてダッシュで駆け出すんですよ。
大人の方が力が強いはずなのに、あんなに手から逃げることができるのは子供かうなぎくらいですよ。
おちおちお買い物もお散歩もできやしない。
頼むから、頼むから、ベビーカーに乗っといてくれ。
先送りってやつですわ~。
しかし、息子1歳10ヶ月。……ついに保健士さんから電話が。
「まだしゃべらない上、手をつないで歩けないなんて〜。アリエナーイ」(要約)
そこから始まった猛特訓
あったま来ましたからね。やったるぞと。
道路沿いで歩く時は必ずハーネス付きリュックを装備。
リュックのリードを自分のベルトフープに固定。
そのまま息子と手をつないで歩く。
秋口に差し掛かっていたというのに額と脇に嫌な汗かきまくってましたねー。
常にフーフー言ってハンカチで額の汗を拭ってましたw
でも、息子が動きを止めると汗は止まるものの冷たい風で体が冷えるんですよ。
体が冷えたと思ったらまた走り出すもんで、冷えのぼせによくなってました。
(そのせいで体質が変わったのか太りやすくなったようで、その後激太りしましたorz)
ハーネス・リード付きリュックが無かったら、息子と出歩くことなく引きこもったでしょう。
……ずっと家で二人きり。考えるだけでげんなりします。
転んだ子供を心配するのは、子供が泣いてからでも遅くない
ヨッコイショと座って、息子がいるはずだった場所をきょとんと眺める私。
親を尻目にもせず駆け出す息子。
息子が1歳半~2歳半くらいの時期は息子不信真っ盛りで、何かあるとまず息子を疑ってかかってましたw
というのも、転んだ息子の様子を伺おうと駆け寄ると、腰を落としてしゃがんでいる最中にサーッと駆け出すんですよ。
転んだ息子を心配しては裏切られ、都度傷つき腹を立て。
何十回何百回と裏切られたので、今では「大丈夫?」と声を掛けて泣けばしゃがみます。
泣かなければしゃがみません(ꐦ°᷄д°᷅)
幼児は意外とすばしっこい
幼稚園児や小学生じゃあるまいし、1歳2歳が走ったところでヒヤヒヤするなんて大袈裟……と思います?
先程も申し上げましたが、
うちの息子は好奇心旺盛なタイプ
好奇心が旺盛だとどうなると思いますか?
怖いものを知らないと何でも確かめに行くんですよ。
あれはなんだ(好奇心)
↓
確かめたい(知的探究心)
↓
親に目もくれず突き進む(欲求に突き動かされる)
これを家の中でやられる分には良いんです。
危険なものは予め避けてありますし、夫も私も【子供がそこにいるもの】として行動してますからね。
何が危なくて何が安全なのかも理解できていません。
おんもでこれをやられると死しかありません。
走りたいし、色んな物を知りたい。
分かる。でも頼むからどちらかひとつにしてくれ。
子供は親が何をしていてもおかまいなしにダッシュするんだ
ちょっと待ってね〜と悠長に右見て左見ての安全確認なんて無理無理無理。
痙攣してるのかってくらい素早く安全確認しないと。
子供は待ってくれやしません。
靴紐をのんびり結んでる余裕もありません。
我が子 is 命知らず
というのも、うちの息子は1歳半くらいから走ることへの欲求が高まってホントに凄かったんです。
家族で一日遊んだ帰り道は、必ずベビーカーから降りて歩きたいとバウンドしてアピール。
日中ならまだしも。夜道ですよ、夜道。
おまけに大人でも疲れちゃうような何kmもある道のりも、ずっと走ってるような状態。
しかも、これは何だとしゃがみこんだかと思えば走り始め、走り始めたかと思えば急にしゃがみこむ。
あっちが気になったと思ったら、こんどはあっち、転けたと思ったら心配する親をよそにすぐダッシュするのが子供。
予測不可能な動きをするので、見てる私達はオロオロしっぱなし。
しかし、おんもにいる人達はそんな子供がうろちょろしているものとして行動していません。
むしろ自分達の動線に入ってくるはずがないものとして行動しています。自転車に乗ってる人も子供を〈動かない物〉と認識する方が多く、子供の横ギリギリを通過されてヒヤッとすることが多いです。
ですから、子供がフラッと近づいたからといって、適切な距離で安全を見守ってくれる大人なんてほとんどいないんですよ。
それができるのは、現役のパパママジジババくらいのもんです。
自分のとこに子供がいるからよその子も目に入って、子供という存在を危なっかしいものとして気にかけているからこそ、それができるんですよね。
不安な気持ちと前向きな気持ちとの格闘
ほんの少しでも息子が離れると『死なせてしまうんじゃないか』
ほんの一瞬でも息子から目を話すと『死んでしまうんじゃないか』
息子が歩いている時に道路があると『死ぬんじゃないか』
息子が歩いている時に大きな段差があると『死んじゃう』
親の私が生きた心地がしなかった時期がありましたw
でもそういう気持ちって大切ですよ。
ADHDの私が息子を死なせることなく、大きな怪我もなく育てることができているのは、
『こいつは気を抜いたら死ぬ』
と無意識に眉間に力が入るほど神経を使って日々をやり過ごしたからであって、運ではありません。
これは断言しますよ。
子供が死なないだけで十分ですよ。
それが頑張った証。
努力だけでは生きていけないけれど、運だけでも子供は育てられないもんねー!
(見えない敵に向かって)
そうかい?
初回
はじめまして。いくらのと申します。
息子が3歳になりまして。
ちょっと前まで「発語が進まない」と悩んでいた息子は、数ヶ月で三語文(まだまだ宇宙語混じり)まで進化しました。
ベビーカーで散歩して何kmも歩き回った乳児時代。
1歳半からは手をつないで歩く訓練に燃え、
あちこちで走り回る息子を必死で追いかけては、
「なんでこの子は私のことを気にしないんだろう」と腹を立て、
他所の子がお母さんを探して泣くのを見ては胸が締め付けられるような思いをしました。
そして息子2歳。
産後に散歩して減ったはずの体重は、呼んでもないのに見事に帰ってきた。
まさかの育児ノイローゼ。
ドカ食い&引きこもりで過去最高体重(妊娠中除く)まで増加。
服はパツパツ。
顔はパンパン。
体は重い(物理)。
悪化する引きこもり。
子供の心配をしていたはずが、まさかの私に下ったADHDの診断結果。
しまいにゃ夫婦喧嘩して離婚騒ぎ。
ああ、どうしてこうなった。
……なるべくしてなったんですけどねw
といったことを振り返りつつ、
息子のかわいさに目覚めた現在を記録しつつ、
あわよくば筆力アップを図りたいという魂胆でブログを始めました。
おそらく育児ブログとしては、ほぼ役に立たないものになります。
ただ、育児に悩んでヘロヘロになった他所のママさんがちょっとした余暇の片手間に読んで
「あっ……私も」
と感じてホッとしてもらえるようなブログにできたら良いなと思っています。